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【社長に】やまぐちゆうという人間【インタビューしてみた】

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山口勇

どどど素人

雨風荒れ狂う嵐の日

一人の男が地平の線を見ていた

その男だけが波打つ雲の向こうの青い空を知っていた

 

PACkageの技術責任者であり、創業メンバーの一人でもあるどどど素人(以下:どどど)です。

今日は、(この記事を読んでいる方ならおそらく)だれもが知るスーパースター、山口勇のことを根掘り葉掘り、土まで掘る勢いでインタビューしていきます!

 

数々のイベントや講演会などに参加する山口勇氏
数々のイベントや講演会などに参加する山口勇氏

元プロゲーマーで今でもesports業界の最前線に立っている山口氏は、何を考え、何に影響を受けてきたのかを聞いていきます。

注)インタビュー時はバリバリのため口で盛り上がっていましたが、読みやすいよう敬語での表現になっています。

 

山口氏が今見ているものは――

どどど:まず手始めとして、今現在は何を一番目指しているか教えてください。

 

「いくらでも金と時間があったら、好きなアーティストや選手を呼んで、好きなゲームの大会をしたり、他にもアニメイベントやサバゲーなども同時にできる、大規模フェスイベントがやりたいです。」

「普段から、いくらでも金と時間があったら何をするかを考えるようにしています。」

 

どどど:なるほど、海外のフェスみたいなイメージですね。

            日本で言うとコミケのデジタル版みたいな感じですか?

 

「近いかもしれません。コミケの横で開催してもいいですね笑」

 

どどど:山口のことをある程度知っている僕が聞くと、

           自分の好きなもの全部一気にやりたいっていうことですよね笑

 

「そうです笑」

 

山口氏とオンラインゲームとの”腐れ縁”

元々、幼稚園の時は、コンピューターの研究者になりたかった

父親がPCの修理屋をしていて、パソコンの可能性についてよく聞いていた

 

小学生のとき、『メタルギアソリッド3 スネークイーター』に出会って、ストーリーモードを2,3周するほどのめりこんでいた

その後、同ゲームでのオンライン対戦に見入られていった

「同じマップでやっているのに、何回やっても未知に遭遇できるのが楽しかった」

それと同時に、

「こんなにおもしろいストーリーで、オンライン対戦でもおもしろいゲームを作る人ってすごい」とも思った

 

それをきっかけに小島秀夫監督のファンに

コジプロのイベントに並ぶほど熱狂的になった

 

小学生の時の夢はゲームクリエイターだったと語る

 

数々のイベントや講演会などに参加する山口勇氏
キズナアイ単独1stライブイベントに参加する山口氏
山口氏はキズナアイの大ファンでもある。

 

ゲームクリエイターへのいばらの道

小学5年生の時にPCを買ってもらい、ニコニコ生放送でゲーム実況や、YouTubeで動画を投稿したりしていた。

 

中学生の時、電通高校のパンフレットの「デジタルゲーム開発コース」に目が留まり、第一希望に。

親に言ったらボコボコにされるほど心配されたが、

アニメ「ソードアート・オンライン」に出会い、「こんなアニメやこんなゲームが作りたい!」と、クリエイターへの想いはますます熱くなっていった

 

親に「後悔しても知らんぞ」と言われながらも、大阪電気通信大学高等学校に入学

 

しかし、ドラマ「ごくせん」にでてくるような不良のいる高校で、1か月で退学届を出そうとしたが、担任にとめられてなんとか残った。

 

ゲーム会社への就職を目指していたので、業界について調べてみると、プログラマーが一番就職できると知った。

特にオンラインゲームに興味があったので、サーバ構築やサーバ言語を中心に勉強していた。

ゲーム会社に入るために大学進学を目指す。

国公立を目指し、三大予備校のひとつに入塾。

 

転機、今後を左右するゲームタイトルに出会う

高校3年の12月 『レインボーシックス シージ(以下、R6S)』が発売

前作の『レインボーシックス ベガス2』からやっていたが、今作に完全にはまってしまう。

 

大学の推薦をもらったが、R6Sに没頭してしまい逃してしまう。

センター入試の朝までゲームしていた。

「入試試験だけはしないと行けないと思いながらもゲームが辞められなかった。ゲーム中毒だった。」

 

付属の大学である大阪電気通信大学のデジタルゲーム学科の進学。

その後、プロeスポーツチーム「野良連合」を発足し、世界1位に。

 

数々のイベントや講演会などに参加する山口勇氏
執筆現在は同大学の大学院生で、業務の傍ら日々勉強も怠らない。

 

クリエイターからイベンターへ、”楽しいこと”の変化

モノづくりがしたいので、就職課にゲーム会社の就職履歴を聞いてみて、同学科からの就職者数の数に希望をみた。

大学の先生に見てもらいながら、いろんな課外活動に参加してまわった。

 

「Unityは高校から知っていたので、改めてやっていった」

TGSコンペを目指しゲームを作る中、福永(どどど素人:インタビュアー)と出会う。

「電通高では1位で自信あったけど、福永(1年先輩)の制作の様子を見て、1年後にこうなっているイメージができなかった」

プログラマーとしての就職は無理だと思い、早めに方向切り替え、企画職を目指す。

企画職での就職のため、実績作りをはじめる

 

このころにはゲームを全くプレイしなくなり、野良連合のレギュラーから外れる

 

作ったゲームを展示するイベントに参加していくうちに、「作ったゲームを展示する楽しさ」に気づく

ゲームを作り、展示まですることを目指したインターカレッジサークル「Play And Create(以下、PAC)」を発足

 

だんだん、イベント自体に楽しさを見出していった。

 

ゲームのイベントや展示会に参加しまくった。

 

“楽しいこと”と”お金を稼ぐ”が繋がる瞬間

御堂筋イルミネーション2017の展示イベントのひとつを仕事として先生から紹介される

「自分たちの技術で、意外とお金って稼げるんだな」

 

一方、野良連合のコーチに就任。

代表からスポンサーの提案があったので、PACの活動をイベントの路線に変更。

 

ゲームパブリッシャーやイベント会社にPACへのスポンサーをお願いしに行くが門前払いを受ける。

 

「PACをちゃんとやればお金稼げるんじゃね」

「じゃあ自分でイベント会社を作るか」

esportsイベント会社 PACkage発足を決意し、資金繰りに奔走する

 

東京のベンチャーキャピタルに、大学辞めて東京着たらお金出すよと言われた。

大学を辞めるのは父親に申し訳ないので、大阪で会社立ち上げたいと言った。

大阪だと駄目だと一蹴される

 

「地元を馬鹿にされたと感じた。見返そうと思った。」

 

そんな思いから関西で立ち上がった株式会社PACkageでした。

 

数々のイベントや講演会などに参加する山口勇氏
Play And Create(通称PAC)にて開催したLANパーティイベント。

 

PACkageという会社のはじまりを振り返って

東京にしかない、大阪になくて、トレンドなイベントが「esports」だった

会社が上手くいったら、イベントに参加する側にまわって楽しみたい

 

「ゲームも作りたいけど、自分が作るより、人が作っているのを見ていたい」

 

 

“山口勇”の原点

山口は、1つものをひたすらやるけど、すぐに飽きちゃう人。

その中でも、やりはじめるときの瞬発力と、イメージの具体的さが人よりずば抜けていると感じました。

 

どどど:普段見てて感じるんだけど、最初から最後までをイメージするのが得意だよね

 

だいたいのことに対して、こうしたいんだろうな、こうなるんだろうな、という予想がつく。

その最終の予想までのロードマップを考えているからかな

いろんなものを見すぎているからかもしれない

いろんなものを、見て、聞いていたから

 

どどど:小さいころからそんな経験をしてた?

 

小学校2年生からオンライン対戦をやっていて、その時はテキストチャットで会話をしていた。

雑談専用のマッチングルームを作って。

いろんなよくわからない人がいて、不思議な話やいろんな話を聞いていた。

いろんな話を聞いてそれを想像するのが好きだった。

 

どどど:それでイメージ力が強くなったんやね

 

むしろ周りができないのが不思議や

 

どどど:そういうとこやぞ笑

   (いつも山口に、自分がすごい人だということを自覚して、と言っています)

 

数々のイベントや講演会などに参加する山口勇氏
山口氏の大好きなアニソンクラブイベントでの集合写真。

 

自分が楽しいと思うことを常に感じ取っていて、それをイメージすることが得意な山口だからこそ、今のPACkageという会社があるのだと思います。

実はとても純粋で、子供のような好奇心を、大人のように的確なイメージ力で周りのスタッフを導いてくれているのです。

僕はそんな彼のイメージする世界を作り上げたくてPACkageにいます。

 

今後の山口氏の、そして株式会社PACkageの活動をご期待ください!!!

 

著者:どどど素人